今、サッカー界で大注目の三笘薫選手!
出身高校など驚くべき経歴を公開します。
「三苫」と書いていますが、正しくは「三笘」なんです。
カタールワールドカップでは、「三笘の1mm」が話題になりましたよね。
三笘薫選手って、ドリブルやアシストなど本当に素晴らしいプレーをしているんですよね。
サッカーってとても頭を使うスポーツだなと見ていて思います。
その中でも三笘薫選手は、特に頭がいいなぁ~と思わせるプレーをしているような気がします。
そんな三笘薫選手が、どんな経歴で今に至るのか、とても気になりますよね。
では、順に紹介していきます。
【サッカー】三苫薫の出身高校は?
三笘薫選手の出身高校は、川崎市立橘高等学校。
普通科、国際科、スポーツ科の3つの科がある高校です。
各学科の偏差値を調べました。
学科名 | 偏差値 |
普通科 | 58 |
国際科 | 54 |
スポーツ科 | 44 |
普通科の偏差値が一番高いですね。
三笘薫選手が、どの学科に通っていたかは不明です。
三笘薫選手は、川崎フロンターレU-18に所属していたので、高校の部活には入っていませんでした。
私の個人的な予想ですが、小学生の頃から川崎フロンターレの下部組織に所属していたので、スポーツ科に通っていた可能性が高いのではないかな~。
【サッカー】三苫薫の高校卒業後の進路は?
三笘薫選手は、高校卒業後、国立筑波大学の体育専門学群に進学しました。
筑波大学体育専門学群の偏差値は、63です。
「学群」ってなに?って思いませんでしたか?
私も、「学部」や「学科」しか聞いたことがなかったので、初めて聞いたときは、何それ?と思ってしまいました。
複数の学部を集めた「学部群」を意味するのが「学群」といい、筑波大学が初めてこの名称を使ったようです。
話がそれてしまいましたが…
三笘薫選手は、この筑波大学体育専門学群にスポーツ推薦で進学しました。
スポーツ推薦ですが、学力も大学のレベルに見合ったくらいはあったのではないかなと思います。
川崎フロンターレのトップチームからも昇格のオファーが来ていた三笘薫選手。
大学からも声はかかっていましたが、なぜ、プロへの道ではなく、大学進学の道を選んだのでしょう。
三笘薫選手は、高卒Jリーガーになるか、大学進学かの2択でとても悩んでいたようです。
筑波大学の蹴球部の試合を観戦した後、自分からお願いして練習に参加したそう。
そこで、小井土監督に出会い、それが大学進学の決め手となったと言われています。
自分のサッカーを見つけるために大学で勉強することも必要!という考えで、大学進学を決意しました。
自分で考え、自分で行動できる高校生ってどれほどいるのでしょう。
本当に立派ですよね。
【サッカー】三苫薫の現在(2023年)は?
三笘薫選手は、1997年5月20日生まれの25歳(2023年5月1日現在)。
筑波大学体育専門学群を卒業後、2020年に川崎フロンターレに入団。
その年の開幕戦、サガン鳥栖戦でJ1デビューを果たしました。
入団してすぐに大活躍で、チームに貢献していました。
そして、2021年8月10日に、イングランド・プレミアムリーグのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに移籍しました。
移籍金は、なんと…約3億9000万円!!
Jリーグから海外に移籍したケースで史上最高額なんです。
そりゃ、それくらいの価値がある凄い選手ですもんね。
しかし、イギリスの労働許可証が発行されるのには、A代表の経験がないとダメでした。
そのため、ベルギー・ファースト・ディビジョンA所属のロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズへ期限付きで移籍しました。
ユニオンSGに約1年のあいだ所属していましたが、ここでも三笘薫選手はとても活躍していました。
そして、2022年の夏からブライトンに復帰!
ベストイレブンに2週連続で選出されたり、日本人選手が持つプレミアリーグ1シーズン最多得点記録を更新したりと現在も大活躍の三笘薫選手です。
日本代表選手としても、素晴らしいプレーをしている三苫薫選手、どこでプレーしても、大活躍ですね。
今や、世界でも高い評価を受けています。
【サッカー】三苫薫の出身高校などの経歴:まとめ
三笘薫選手の経歴を紹介してきました。
川崎市立橘高等学校時代にきたプロ昇格のオファーを断り、筑波大学に進学し、その後プロサッカー選手として活躍!
そして海外移籍。
本当に驚きの経歴ですよね。
プロになれる実力を高校時代すでに持っているのに、将来プロになったときのことをしっかり考える。
プロ選手として活躍するために自分には何が必要なのか、大学時代にしっかりと分析した結果が、今の三笘薫選手の活躍に繋がっているんですね。
これからのさらなる活躍、技のセンスなどに注目しながら、応援していきましょう!
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